最近よく見かける「HSP」という言葉。
「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」の略である、HSP。
とても繊細な人・敏感な人を指すものです。
診断サイトなどもあり、「自分はHSPだったんだ!」と気づく人も多くなりました。
かく言う私も、HSP だと自認しております。
以前より、広まったHSPという概念ですが、広まったがゆえに困ることも出てきました。
自分はHSPだ、という人に対して
「うわ、めんどくさい人」
と思われてしまう、そんなケースも見受けられるようになりました。
ネットで検索しても『HSP めんどくさい』『HSP メンヘラ』なんてサジェストが表示されたりします。
そもそも50代・アラフィフの私たちは、HSP という概念のない世界を約半世紀、生きてきました。
そんな私たちにとって「HSP」という概念は、とても生きる上で役に立つもの。
より楽に生きるためにHSP とどう付き合えば良いのか考えていきます。
なぜ、めんどうくさいと思われるのか
そもそも、なぜ「めんどうくさい」と思われるのか。
- HSP の人はもともと人付き合いが苦手な人が多い
- 「繊細だから気をつかえ」と言っているように捉えられる
- 繊細自慢になってしまっている
- 自称HSPの人がいる
- 相手を加害者にしてしまっている
- HSP 自体が嘘くさいと思われている
おおよそ、このような理由で「めんどくさい」「ウザい」と思われているようです。
人付き合いが苦手な人が多い
HSPの人は、他人の気持ちに敏感なため、気を使いすぎることがあります。
そして人との距離を空けてしまう場合もあります。
逆に一生懸命相手を気遣って、必要以上に接してしまうこともあります。
元来がこのようなタイプなため、HSP気質を持つ人のことを「めんどくさい」と思われると考えられます。
また、このようなタイプを「HSP」とラベリングされたことにより、HSP=めんどくさい、となってしまっているのではないでしょうか。
「繊細だから気をつかえ」と言っているように捉えられる
自分がHSPであることを他人に話したとき、
「HSPだから気をつかえってこと?」
と捉えらる場合があります。
それは相手がHSPについてよく知らない場合や、誤解をしている場合、HSPをそもそも怪しいと思っている場合などがあります。
相手が知らない場合
「よく知らないけど、ようは自分で自分のことを『私って繊細なんですー』ってアピールしてるってことよね?」
と思われてしまいます。
HSPについて誤解をしている場合も
「HSPって自分で勝手に『私は繊細なんです』って言ってるだけだよね」
と思われてしまいます。
そしてそもそもHSP自体を怪しいと思われている場合、「HSP」と言っただけで嫌悪感をあらわにされることもあります。
繊細自慢になってしまっている
よく見受けられるのが、HSPであることを自慢したりアピールしてしまうことです。
いわゆる『不幸自慢』のようなケースです。
他にはHSPだから人の気持ちに敏感である、いろいろな事象に敏感であることを自慢してしまうことも。
これに関しては、HSP気質をポジティブとらえて、前向きに生きようとしている人もいるため悪いことだとは思えません。
しかし、言い方によっては非HSPの人からすると『繊細自慢』と捉えられる危険もはらんでいます。
自称HSPの人がいる
上記の繊細自慢をする人や、いかにも「HSPだから気をつかえ」と言わんばかりの人に多いのが「自称HSP」です。
多くのHSPさんは、HSPであるが故にあまり多くは人に主張しない人もたくさんいます。
声を高らかに、そして相手に誇示するようにHSPであることを言う場合、自称HSPであるケースも。
そのため、HSPの人はウザいと思われることも起こりがちです。
相手を加害者にしてしまっている
自分がHSPだと伝えるのは良いのですが、その際に
「自分はHSPなのにまわりがわかってくれない」
などと周囲に理解を強要する人もいます。
また「HSPで繊細なのに辛いことを言われた」という風に話す人もいます。
この場合、それを聞いている非HSPの人は『人を加害者のように言ってるなぁ』と感じる場合もあります。
そしてHSPを振りかざして被害者ぶっている、という風に感じてしまうことも。
そうなった場合、めんどうくさい人だと思われてしまいます。
HSP 自体が嘘くさいと思われている
HSP自体が病気ではなく、心理学での定義であるため『嘘くさい』と思われることもしばしばです。
また、
「病院で診断されたわけでもないのに」
「病気でもないくせに」
などと、医学的なものでないため否定的にみられることがあります。
そのため「HSPです」と言うと、胡散臭いものを信じて主張する人だと思われることがあります。
アラフィフでHSPと気づいた私たちの気持ち
アラフィフでHSPであることに気づいた私たちは、HSPという気質が存在することに、合点がいったりホッとしたりします。
約半世紀。
約50年という長い時間、ずっと生きにくさを抱えて生きてきたのです。
HSPという概念を知り、
「ああ、自分はこれだったのか」
と思うのは当たり前です。
自分の気質を知り、ホッとするのも当然です。
そもそもHSPの気質は病気ではない、と至るところに記載されています。
病気ではないから、長い間どうしようもなく抱えて生きてきたのです。
安易にHSPなどとラベリングする是非も言われますが、それによって救われる人がいることも事実です。
自分がHSPという気質を持っているとわかれば、あらゆる場面で自分への対処をすることができる。これはとても大きな利点です。
こんな風に考えることができたら、以前より生きやすくなるものです。
自分の生き方の取説となるのであれば、HSPという概念・気質をうまく利用するのはとても大事なことです。
「自分はHSPだから仕方ないでしょ?」
なんて言い訳に使うのではなく、
「自分はHSPだからこうなる、だからこんな風に生きていこう」
と考えられるようになったのは、とてもありがたいものです。
これまでは、単に考えすぎだとか、変なこと気にする人だとか思われたりしてきました。
自分自身でもそう思って生きてきた人も多いのではないでしょうか。
よくぞ半世紀近く、一人で頑張ってきたなと自分で自分を褒めてあげたいものです。
めんどうくさい人にならない対処法
しかし、相手の理解については、強要するわけにもいきません。
周りの人全員に、理解をしてもらうのは無理な場合がほとんど。
HSPという気質を持った私たちは、どう上手く対処すれば良いのかを考えてみました。
理解を求めない
HSPという概念を非HSPの人は理解できないことがほとんどだと思っておくことが、自分自身への防御にもなります。
非HSPの人も、部分的にはHSPと同じような敏感で繊細な部分を持った人がほとんどです。
なので「HSPって言ったって、みんな同じなのに」とも思われがち。
それはきっと、男性に生理痛や陣痛を説明するようなもの、なにかもしれません。
HSPは自分がみる取説として利用する、というのも一つの良い方法です。
HSPだとカミングアウトしない
非HSPの人に理解を求めるのが難しいとなると、そもそも相手にカミングアウトしないのも一手です。
こちらも、HSPは自分がみる取説として利用して、自分自身がどう動くか、どう気持ちを整えるかに力を置いてみましょう。
HSPは特別ではないと思う
非HSPの人でも、診断テストなどで一部分は当てはまるという人もいます。
それくらい、HSPの特徴はよくあり得ることでもあるのです。
誰もが何かしら、生きづらい部分があるという事を念頭に置いておくと、それ自体が自分の生きやすさに繋がるものです。
そして、なにか困ったことが起こった場合の取説としてHSPと付き合っていく。
長く繊細で敏感な人生を生きてきた私たちは、きっとHSPという『取説』を上手に使って生きていけるはずです。
まとめ
とても繊細な人・敏感な人を指すHSP。
この言葉が広まった一方で、HSPの人はめんどうくさい、と捉えられるケースも増えました。
しかしHSPという概念で、救われることも沢山あります。
このHSPの気質を持った私たちがどのように上手に『HSP』と付き合うか。
とても消極的な方法に見えますが、もともと繊細な気質の私たちです。
積極的に周囲に理解を求めていくことより、自分が楽に生きていくことのほうがより重要。
不要な刺激を自ら受けに行く必要なない、そう思います。
HSPという取説を使って自分を防御して、戦わずして勝ちたい。
勝つとは、要するにメチャクチャ安眠できることなのだ。